在りしの日の名城の勇姿

古写真を着色する事で、在りしの日の名城の勇姿を再び

津山藩 煙硝庫

津山藩 煙硝庫 大坂城の西の丸にある煙硝庫が有名ですが、津山藩では、城内ではないですが 津山城から2Kmぐらい離れた吉井川対岸の山中に古墳を再利用して作られています。 ちなみにタイプはことなりますが、3つあります。 津山城から2Kmぐらい離れた対岸…

新潟奉行所(明治4年)

新潟奉行所 元々は、長岡藩の領地でしたが、幕府の天領へ上知されてた歴史がありますが、 それだけ重要な港だったので、現在の県庁所在地に繋がっているのでしょうね。 新潟は佐渡奉行所もあるので、日本海側の重要拠点ですね

西尾城 二之丸天守

西尾城 本丸丑寅櫓、二之丸鍮石門につづいて、二之丸丑寅櫓が折れの土塀と共に復元され、 二之丸にあった天守台も復元されるなど、在りし日の姿が忍ばれるようになりましたね 二之丸にあった天守といえば、水戸城、徳島城など数えるほどしかないので、 珍し…

甲府城(明治3年)愛宕山より遠景

甲府城(明治3年)愛宕山より遠景 この写真が、かつての甲府城の姿を一番現していると思います。 甲府城 愛宕山より遠景(明治3年) 稲荷櫓が右端に見えますが、現在は復元されているので、対比する際の目印として 愛宕山から見てみると、JR中央線で分断され…

甲府城(明治39年)模擬天守 夜間電飾

甲府城 (多分2代目天守) 中央本線 甲府駅まで開通を記念して開かれた、「1府9県連合共進会」で 作成された模擬天守ですが、同時に甲府城を分断する形で開通したので、 微妙な感じはありますが・・・ 模擬天守は、共進会開催時はまだ工事中で、外壁に木…

甲府城 本丸二重櫓と硝煙蔵(明治6年頃)

甲府城 福山城、明石城など同様に、現在は電車の車窓からも眺めが楽しめる城ですが かなり整備されて、在りし日の面影が蘇っていますが、残念ながら、こちらの 本丸 二重櫓は、復元されていませんね。(将来の復元される事を楽しみいしてます) 本丸にあった櫓…

大垣城(昭和10年)天守内部 一階西側

大垣城(昭和10年)天守内部 一階西側 大垣城は、天守や艮櫓など、昭和10年に結構細部の写真が多く撮影されており、空襲で焼失する前の状態が、良くわかりますが、やはり同じ木造で大垣城を参考に作成された郡上八幡城とは、外見は似てはいますが、内部構造…

大垣城(明治初期)堀が健在だといいですね

大垣城 明治初期 大垣城現在は、完全に市街地に埋もれて、駅前商店街の横道を入ると突然現れる状態で在りし日の壮大な水城の面影はありませんが、関ヶ原の合戦では、西軍の拠点になるほど重要な城でした。 昭和20年に空爆され炎上するまで、天守や艮櫓は残…

福山城 天守(昭和10年)

尼崎城、明石城は今年が築城400年祭りですが、福山城も築城400年が近づいてきましたね。 天守の北面を鉄板に戻すとか、いろいろ案はある感じですが、ちょっと楽しみです。 本当は、木造で復元が一番いいのでしょうが、流石に現状では無理でしょうね。 …

松本城 明治23年 大きく傾いた様に見える天守

松本城 明治23年 大きく傾いた様に見える天守 廃城令の後、朽ちていく城郭の代表写真によくされる松本城の天守ですが、 最近になってやっとレンズによる膨張説あり等が、記載される様になりました。 大きく傾いた様に見える天守ですが、犬走と天守の屋根の傾…

高島城  明治4年

高島城 天守が寒さ対策で瓦を使わず、杮葺き何が特徴です。 明治だと諏訪湖の浮城と言われた感じが残ってますね。 今では完全に市街地に飲み込まれで天守の裏が駐車場になってますが、雪が降った時は いい感じで浮城の面影が忍ばれます。

松本城 天守と空堀 明治初期

松本城 国宝5天守で、一番古い松本城ですが、恐らく明治6年あたりの写真かと・・ 廃城令により解体するのに便利な様に堀の水を抜いて、石垣の石を外したり、建物を 解体されています。 天守と月見櫓が写っている方面からの撮影と思うのですが、縄張図に該…

高知城 二の丸御殿(明治初期)

高知城 現存12天守であり、現存4御殿もあり、本丸はほぼ完全に残っている貴重な城です。 ただ大手門を除くと、ちょっと寂しい状態で、今は広場になっている二の丸には かつて二の丸御殿がありました。 大きな特徴は、火事にそなえて屋根の上に天水桶が設…

若狭野陣屋 (大石内蔵助と浅野内匠頭ゆかりの陣屋)

若狭野陣屋 兵庫県相生市若狭野町にある陣屋で国道2号線から100mぐらい北に行った 所にあります。 現存するのは、珍しい札座と、相生市街地にある西法寺に陣屋門が残っています。 札座とは、藩札を発行していたのと、今は存在しませんが銅座もあったそうで…

水上小出陣屋門(昭和50年)

水上小出陣屋門 出石藩の分家として兵庫県豊岡市日高町水上に設立されたのですが、小出氏本家が改易になった後も存在していたので、赤穂藩浅野家の分家で幕末まで残った若狭野陣屋同様、貴重な存在でしたが昭和の終わりごろに老朽化で自然崩壊し、今は昔です…

伊賀上野城 二の丸御殿(明治5年と44年)

伊賀上野城 県は三重県ですが、伊賀の国自体は、近鉄で大阪へ通勤圏内のため関西圏に 組み込まれているのが実態です。 なぜ三重県に統合されたかは、藩祖の堂高虎の時代に、大坂夏の陣での功績で 領土になった名残でしょうね。 国主格として伊勢と伊賀をもっ…

伊勢亀山城 御三階櫓(明治2年)

伊勢亀山城 御三階櫓 かつては、5重の天守が建っていましたが、幕府の命で丹波亀山城とわざと間違えて 取り壊された後に、別の場所に天守の代わりに建てられた経緯があります。 天守台には三重県唯一の現存多門櫓が残っています。 昭和30年頃は、こんな姿…

姫路城 羽柴秀吉期の移築門

姫路城には以前2つの移築門がありましたが、姫路市内の八王子神社にあった門は 数年前に、老朽化していたとはいえ、調査もせず破棄された事は非常に残念です。 姫路市指定の文化財だっただけに、維持できないなら寄付をするなど考慮して 欲しかったですね。…

岡山城 上空から 大正後期

岡山城を上空から撮った写真です 天守は戦前まで、残っていたので古写真は結構あるのですが、ほとんどと言っても過言ではないぐらい、代表的な構図は、後楽園の前を流れる旭川の対岸から撮った写真です。 本丸本段側から撮影された写真は、明治29年に旧岡…

坂本竜馬 写真館にて 慶応2年

前回に続けて坂本竜馬です。 慶応2年は、坂本竜馬が一番活躍した年ですね。 腰にピストル、下駄でなくブーツなど竜馬ならではですね ちょっと緊張している感じがしますね

坂本竜馬 京都にて 慶応3年

台風でなにもできず・・・ ちょっと気分を変えて 幕末に活躍した 坂本竜馬 写真は、暗殺された年に京都で撮影されたものです。 前の年に撮影された写真は超有名で、ブーツを履いているのが特徴でしたが こちらは、刀を差し草履を履いているので、プライベー…

備中松山城 昭和13年頃

竹田城とならんで天空の城と呼ばれている備中松山城ですが、 こちらは、現存12天守の1つで典型的な山城です。 そんな備中松山城ですが、昭和13年頃には天守が崩壊寸前になってました。 あまりに山頂にあったので、取り壊しを免れその後、地元の方が、山…

米子城 明治5年頃

米子城の明治5年頃の姿です。 すでに小天守は見当たらないですね。 因幡と伯耆は、因州池田家が治めていたので、2ケ国所有のため、 一国一城令の対象とはならず、池田家の支城と存続した城ですが 本城の鳥取城にもなかった天守が2つもあった立派な城です…

福山城 昭和初期頃の遠景

なんとなくですが、また福山城です(汗;) 昭和初期頃の福山城周辺ですが、城下町の雰囲気がまだ残ってますね。 次は、どの城にしようか悩んでます。

福山城 天守の入口と最上階

福山城ですが、戦前まで残っていただけあって古写真が結構残っているので 天守内部も、数は少ないですが今回は、天守の入口と最上階をご紹介します。 天守の入口 おそらく昭和10年頃かと思います。 天守6階 御調台 高欄が囲われているのがよくわかります。…

福山城 昭和10年頃の天守

福山城は、明石城や尼崎城と同様に、2代将軍徳川秀忠の命で作られた城の為、旧伏見城の移築が多いのが共通の特徴ですね。 初代城主水野勝成が城マニアで全国の城を視察や研究をしただけあり、天守が他の城に見られない北面がすべて鉄板で覆っている独特な城…

上田城 北櫓と南櫓

上田城 北櫓と南櫓 上田城は、真田で有名ですが、関ヶ原の合戦後一度は廃城になっており、 その後再建された経緯はありますが、地形などはそのまま活かし仙石氏に より近世の城と城として整備されました。 明治になって西櫓以外すべて無くなりましたが、北櫓…

大坂城 紀州御殿(和歌山城 二の丸御殿)

大坂城 3代目天守建築中と紀州御殿(和歌山城 二の丸御殿) 天守が大分完成しているので、昭和5年だと思います。 明治18年に陸軍が第四師団司令部庁舎と利用するため、和歌山城 二の丸御殿の 一部を移築し、昭和6年に現在も残っていますが、陸軍が大阪市…

明石城 織田家長屋門

明石城下に残る唯一の武家屋敷です。 元は明石城の前身の船上城からの移築で、室町時代に作られたものですが 戦争で、大部分は燃え長屋門の一部が残るのみです。 昭和41年に修復工事が行われ、今日の姿になっています。 JR神戸線と明石城に挟まれた場所に…

明石城と巨人軍

明石城も今年で築城400年になり、太鼓門の復元計画があるようですね。 今回はちょっと珍しい写真をご紹介します。 ちなみにジャイアント馬場(投手)は、この地で奥さんと知り合いご結婚されたそうです。