在りしの日の名城の勇姿

古写真を着色する事で、在りしの日の名城の勇姿を再び

丸岡城 福井大震災時(昭和23年6月28日)

丸岡城 福井大震災時(昭和23年6月28日)

 

 阪神・淡路大地震と同じ、直下型地震に襲われた丸岡城ですが、現地で

「お天守が飛んだ」と言われている通り、天守台から天守部分のみが、吹き飛ばされた

ように、かなり原型を留めていますが山の端っこの方へ散乱しているのが分かります

丸岡城 福井大震災時

丸岡城 福井大震災時

現在の天守はこの状態から、70%当時の古材を使って昭和30年に再建できたのは、

いろいろな奇跡が重なった結果と当時の旧丸岡町の方々の努力のたまものですね。

 

現在の丸岡駅が、丸岡城から異常に離れているのも納得しました。

(当時は電車が走っていのですね) 今は北陸新幹線が近くを走るようですが

犬山城 木曾川と帆掛け船(昭和初期)

犬山城 木曾川と帆掛け船(昭和初期)

暑い日が続きますね やっとまともな休みが取れたので久しぶりですが

涼しい古写真が無いかな?でこちらです。

犬山城と木曾川

犬山城木曾川

昭和30年代までは、普通に見られた風景だそうですが、今はライン下りのみですね

西宮砲台 海上大飛行(明治45年6月8日)

西宮砲台 海上大飛行(明治45年6月8日)

今も和田岬砲台と共に、残っている貴重な砲台ですが、この時期は阪神電車が購入して

おり、ビヤガーデンに使用されるなど、数奇な運命をたどって残っています。

 

西宮砲台 アトウオーター氏 海上大飛行 明治45年6月8日

関西での初になる飛行機の水上飛行で、海上には戦艦 平戸が来ており、久邇宮邦彦王も見学にくるなど、当時としては画期的なイベントでした。

高取城 二の丸 太鼓櫓(明治20年)

高取城 二の丸 太鼓櫓(明治20年)

2023年 新年あけましておめでとうございます。

 

 髙取城は、秀忠があまりの山城に常普請で幕府の許可不要で、いつでも修理OKな

城ですが、関ヶ原の西軍の攻撃や幕末の天誅組の攻撃も退けた、実戦をくぐり抜けた

名城です。

 

明治20年に撮影された写真は3枚しか残っていませんが、天守も備えた立派な城です

髙取城 二の丸 太鼓櫓

この左には天守があるのですが、なぜか撮影対象になっていません

飛鳥から運ばれた猿石など、南都の守護神を象徴するような城ですが、登城というより

完全に登山の準備して行かないと大変な思いをします。

水戸城 御三階櫓(明治5年)

水戸城 御三階櫓(明治5年)

水戸城 御三階櫓 明和3年(1766)の再建から昭和20年(1945)年8月2日の空襲で炎上するまで残っていたので、古写真は結構残っていますが、最大の特徴である窓が観音開きで

開いているのは、この一枚しか見たことはないのですが、明治5年に放火され御三階櫓を除き焼失後かと思いますが、御三階櫓の手前に建物の礎石が残っているので、二の丸御殿のものかなと

水戸城 御三階櫓

水戸城 御三階櫓

昭和に焼失した8天守のうち、水戸城のみが再建されていないので、いつの日か見てみたいものです

名古屋城 金鯱(雌側) ウィーン万博(明治6年)

名古屋城 金鯱(雌側) ウィーン万博(明治6年)

名古屋城と言えば、やはり金鯱が有名ですが、オーストリア・ハンガリー帝国時代の

ウイーンに日本が初めて本格的に参加した万国博覧会の目玉として展示されていました

ウイーン万博に出展された金の鯱

今は、名古屋城天守空爆で炎上したさいに、溶けてしまい、その金塊から茶釜として形を変えて残っていますが、今も昔も人気ですね

水戸城 御三階櫓(昭和初期)

水戸城 御三階櫓

空襲(昭和20年8月2日)で焼失したのですが、御三家の城郭中できわめてシンプルなのが

特徴ですね。

水戸城自体は、佐竹氏から水戸徳川家の居城へと変わったのですが、手をいれる必要がないぐらい完成度が高いのと、基本 水戸徳川家は江戸定府のため、尾張紀州と違い戦国期の雰囲気が感じられます。

水戸城 御三階櫓

水戸城 御三階櫓

紀伊徳川家が、天守再建の際に5重の許可が下りず三重でになったのと同様に、幕府に遠慮して、天守ではなく、焼失した三重物見櫓再建の形式をとっているので、破風など

飾りがないのと、石の調達が難しいため、下部を海鼠壁にして石垣に見えるようなと苦心した跡がみえます。

 

二の丸は大手門と角櫓が復元されたので、いつの日か再建されるといいですね