2021-01-01から1年間の記事一覧
府内城 到着櫓と大手門 明治40年頃 大分県庁として使用されていただけでなく、東の丸 到着櫓は、大分測候所と して使用されており、1層目は採光のため窓が4つに増設され、大手門は鐘楼が ありは2階に半鐘で時を知らせ、堀はレンコン栽培を行っていたマル…
府内城 西の丸 角櫓(昭和16年) 秀吉の軍師であった竹中半兵衛の甥にあたる竹中重利より、近世城郭に整備された府内城で、廃城令後も残っていたのですが空襲により焼失した櫓の一つです。 府内城 西の丸 角櫓(昭和16年) かつて城内にあった大分県庁も場外に移…
大垣城 天守(明治24年9月12日水害時) 今でも、大垣城の石垣に当時の水害時の水位を刻まれており、当時の大垣市街地の80%が水没した爪痕が残っていますが、7月と9月に台風により本丸までほぼ水没した事がわかります。 大垣城 天守 明治24年9月12日水害時 関ヶ…
大坂城 本丸御殿 (慶応3年) 紀州御殿の影に隠れて、存在が少し薄いですが、本来大坂城にあった、本丸御殿で 徳川家茂、 慶喜の本拠地として機能しており、長州征伐の基地の役割と当時友好関係 にあったフランスと外交の場になっています。 大坂城 大広間と白…
大坂城 二の丸 京橋口御三階櫓「伏見櫓」(大正11年) 元は絵葉書ですが、久しぶりにいい感じで着色できました。 普通の城なら、天守と言っても差し支えないぐらい立派です。 大坂城 二の丸伏見櫓 昭和20年空襲で焼失 三階櫓は12ありましたが、唯一二の丸に…
大洲城 二の丸 苧綿櫓(昭和30年頃) 夏で熱くなってきたので、ちょっと涼し気な感じで 大洲城は宇和島城と同様、藤堂高虎により城の基礎が作られた城で、脇坂安治により今日の姿になっていますが肱川をうまく活用した川城ですね。 現在は、肱川による水害対策…
大坂城 二の丸 大手門、六番櫓、三番櫓、二番櫓(明治初期) 二番櫓と三番櫓の間が土塀になっているので、明治5年頃かと思います。 これだけ大坂城自体が巨大なため遠景から撮影した写真がめずらしいので、 当時の時代背景がなんとなくわかる気がします、 今で…
大坂城 西の丸 八角薪蔵(昭和6年) 大坂城 西の丸には硝煙蔵が残っていますが、その横にあった薪蔵です。 背後に建築中の天守が見えるので、時期は昭和6年と特定できるのですが、空襲で焼失したのか、ジェーン台風で崩壊したのか、よくわかりませんが、今は昔…
大坂城 二番櫓、一番櫓と玉造門(大正期) 大坂城に4つある入口のうち、玉造門は軍の搬入用に桝形門が撤去されているのと一番櫓と二番櫓の土塀がレンガ塀にすでに変わっています。 大坂城 二番櫓、一番櫓と玉造門(大正期) 現在は、一番櫓のみ奇跡的に空襲から…
福山城 東南遠景(明治末年) 久しぶりに福山城ですが、赤穂城と同じく河口のデルタ地帯に築城されたため、 日本三大上水道(神田、赤穂、福山)が整備されています。 福山城 東南遠景 明治末年 鞆の浦には、足利義昭が毛利氏に頼り滞在したり、坂本竜馬が紀州…
大坂城 本丸 桜門西の鉄砲方預櫓(西の一番櫓) 慶応2年 14代将軍 徳川家茂が第2次長州征伐の拠点とした城で、本丸にそびえる11の三重櫓の 一つです。 本丸への入口である桜門を西側から守る役目をもっているの為、重要な櫓です。 大坂城 本丸鉄砲方預櫓 南面…
大坂城 本丸 糒櫓(蔵方預櫓) 慶応2年 大坂城は、幕末時には実質 将軍が本拠地にしていた事もあり、他の城と違い 保全用の絵図代わりに写真を採用しているため、渡櫓だけ撮影した写真など あり、幕末期の徳川大坂城の全容が写真で詳細に分かる城だけに、いつ…