米子城の明治5年頃の姿です。 すでに小天守は見当たらないですね。 因幡と伯耆は、因州池田家が治めていたので、2ケ国所有のため、 一国一城令の対象とはならず、池田家の支城と存続した城ですが 本城の鳥取城にもなかった天守が2つもあった立派な城です…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。